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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)9181号 判決 1971年12月13日

原告 青柳きよ子

右訴訟代理人弁護士 尾形再臨

被告 有限会社日進商会

右代表者代表取締役 安藤次郎

右訴訟代理人弁護士 山田茂

主文

一  被告より原告に対する東京法務局公証人仁科恒彦作成昭和四二年第三八二一号金銭消費貸借契約公正証書に基づく強制執行は許さない。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  本件につき昭和四四年八月二七日当裁判所がなした強制執行停止決定は認可する。

四  この判決は前項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

主文第一、二項と同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原、被告間には、被告を債権者、訴外青柳隆を債務者、原告を連帯債務者とする東京法務局所属公証人仁科恒彦作成昭和四二年第三八二一号金銭消費貸借契約公正証書(以下本件公正証書という。)が存在し、右の公正証書には

(1) 原告は右隆と連帯して、昭和四二年三月三〇日被告から借受けた五四〇万円の金銭債務を同年六月三〇日限り右元金に年一割五分の利息を付して支払う、利息の支払期日は毎月末日に翌月分払い、遅延損害金は日歩八銭二厘とし、利息の支払いを怠ったときは期限の利益を失ない残債務全額を即時に支払うこと

(2) 原告らが前記債務を弁済しなかったときは、直ちに強制執行を受くることを認諾すること

なる記載がある。

2  右公正証書は訴外南野勝己が原告の代理人となって作成を嘱託したものであるが、原告は隆の被告に対する本件債務について連帯債務を負担したこともなく、南野勝己に対して原告の代理人となって公正証書を作成するように委託したこともない。

昭和四二年七月ころ、原告所有の土地・建物の一部を首都高速道路公団に売却することになり、その売買代金を受領する代理権を当時の夫であった青柳隆(昭和四四年三月三日に協議離婚し、現在は二木隆という。)に授与し、そのために同人に原告の実印を預けたことがある。同人は委託の趣旨に反し、右実印を用いて、被告に対する金銭債務の支払いの猶予を求める方法として被告から要求されるままに、昭和四二年三月末日ころから同年四月ころまでの間に原告の印鑑証明や白紙委任状を偽造し、被告会社の従業員広瀬正吉に手交した。被告はこれらの書類を利用し情を知らない公証人仁科恒彦をして本件公正証書を作成せしめたものである。

3  右のとおりで、本件公正証書は原告に対して効力がないものであるから、その執行力の排除を求める。

二  右に対する被告の答弁

請求原因事実1は認め、その余は否認する。

三  抗弁

1  原告は本件消費貸借契約の締結および公正証書作成委任の代理権を訴外隆に与え、同人は右権限に基づき被告との間に本件消費貸借契約を締結し、かつ訴外南野勝己を原告の代理人に選任し、訴外南野は右契約による債務の不履行につき執行認諾の意思表示をなし、本件公正証書を作成した。

2  かりに訴外隆が右代理権を有しなかったとしても、同人は、当時の妻であった原告から原告所有の土地・建物の一部を首都高速道路公団に売却した代金を受領する基本代理権を与えられており、また原告と共同して事業を行なっていたのであるから、同人の権限踰越行為につき被告が代理権ありと信じたことには正当の理由がある。

3  かりに以上の主張が理由ないとしても、原告は訴外隆の無権代理行為を追認した。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実は否認。同2の事実のうち原告所有の土地・建物の一部を首都高速道路公団に売却した代金を受領する代理権を与えた事実は認めるが、その余は否認。同3の事実は否認。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二  被告は、本件消費貸借契約の締結および公正証書の作成の嘱託は原告の代理人である訴外南野勝己によりなされたものであると主張するが、同人が代理権を有したことを認めるに足りる証拠はない。かえって、≪証拠省略≫によれば、原告が昭和四二年一月ころ、原告所有の土地建物の一部を首都高速道路公団に売却する交渉の権限を訴外二木隆に委ね、その際自分の印鑑を預けたこと、ところが同人は自己の経営する会社の営業資金をそれまでに借りたことのあった訴外広瀬正吉にそのころ他の債権者からの借金につき保証人となって貰う際、広瀬から求められるまま右原告の印鑑を利用して公正証書作成のための委任状を作成し、また印鑑証明書の交付を受けて、これらを広瀬に手交したこと、その後訴外二木隆は昭和四二年七月三〇日ころ被告会社の実質上の代表者高宮敬一から五四〇万円を借受け、そのうちから広瀬に対しそれまで数回にわたり借りていた元本合計五一五万円と利息金約一〇万円とを返済したところ、広瀬は右委任状および印鑑証明書を原告に返却せず、右高宮敬一に手交したこと、同人は昭和四二年九月二二日右書類を利用し、訴外南野勝己を原告の代理人として本件公正証書の作成を嘱託させたものであること、これらの事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、本件公正証書は、原告を代理する権限のない者が代理人として行為することによって作成されたものであり、効力を有しないとしなければならない。

三  そこで表見代理の主張について判断する。前記のように、本件公正証書作成に関与した訴外南野勝己が公証人に対して自己の代理権を証明するのに使用した委任状に押捺された原告印鑑は、訴外二木隆が昭和四二年一月ころ、原告の土地建物を首都高速道路公団に売却する交渉の権限を原告から委ねられた際預ったものであったことが認められるのであるから、訴外隆の前認定の行為が本来の権限外の行為であったことは明らかである。

問題は民法第一一〇条の「ソノ権限アリト信スヘキ正当ノ理由」の有無である。この問題に関しては、債務者が直ちに強制執行をうけても異議がない旨のいわゆる執行認諾条項は、実質的審理を省略して公正証書を直ちに債務名義たらしめる要件であるから執行認諾の意思表示は訴訟行為に属し、したがって、表見代理に関する民法第一一〇条の規定はこれに適用がないとする見解が有力であり、最高裁判所の判決(昭和三二年六月六日第一小法廷判決民集一一巻七号一一七七頁)も存するところであるけれども、飜って取引社会における公正証書の存在理由およびその作成経過の実際の態様を案ずると、債務者が委任状およびそれに押捺された印影の真正を証する印鑑証明書を債権者に交付し、これを債権者が信用して債務者代理人となるべき者と共に公証人のもとに出頭した場合、公証人としては、委任状の真正を、したがって帰するところ印鑑証明書の真正を、疑いえない限り(公証人法第二八条第二項、第三一条、第三二条第一項・第二項)、公正証書作成の嘱託を拒むことを得ない(同法第三条)のであるから、当事者間の公正証書作成の事態における公証人の役割は、単に公証の手段として介在するに止まる。そして公正証書に記載される私法上の契約に関しては、もとより民法上の表見代理規定の適用を妨げるべき理由はないのである。そうすると、これら私法上の契約条項の中に唯一つ挿入される執行認諾文言を特別に扱い、その意思表示だけを訴訟行為と見て、通常の訴訟という一連の手続を構成する要因としての訴訟行為に関する法理を直ちにこれに適用するのは、かえって実情に即しないとの観なきを得ない。当裁判所は右のように考えるので、執行認諾文言ある公正証書が無権代理人により作成嘱託せられた場合にもなお、債権者・債務者間に表見代理の諸法条の準用を案ずる余地があると解するものである。

四  よって、当面の問題である民法第一一〇条の正当の理由の有無につき証拠を按ずるに、証人広瀬正吉の証言によれば、被告会社は金融業の訴外山一商会を経営する高宮徳寿の息子である高宮敬一が独立して被告会社を設立するに至ったものであること、広瀬は、それまで山一商会に勤務するかたわら、前認定のように自分個人としても金融業を営んでいたものであるが、被告会社の設立に伴い山一商会から出向し、昭和四二年ころは被告会社の社員兼顧問として活動していたこと、前認定の訴外隆との交渉以前既に昭和四一年秋ころから同人に個人として融資していたが、同人がたびたび原告名義の手形帳・小切手帳および原告の印鑑を使用して原告名義の手形ないし小切手を担保として差入れるのを受取りながら、その間原告に顔を合わせる機会が何度かあっても、ついぞそのことに触れ、訴外隆の権限の有無をたしかめる処置を取らなかったこと、これらの事実が認められるのであって、これらを総合すると、広瀬自身は、訴外隆が原告を代理する権限なしに原告の印鑑を乱用していることに気付いていたと推認することができる。当時訴外隆と原告とは夫婦関係にあったのであるが、何百万円という借金はもとより日常の家事ではないから、金融業者としては、全くその機会がなければ格別、本人に代理人の権限の有無をただす機会がある以上は、一応それを利用するのが当然である。それを意識的に避けたと認められる以上、右のように推認されても致し方ないであろう。したがって、前認定の本件委任状および印鑑証明書の交付の場面においても、広瀬が訴外隆に代理権があると信じていたとは到底認めることができない。

そこで当面の問題は被告を代理していた訴外高宮敬一が訴外隆の代理権を信じたか、信じるにつき正当の理由があったかである。前認定の昭和四二年七月三〇日ころの金員の授受およびこれに関する証人二木隆の証言を総合すると、被告会社から金を借りて広瀬に返済した経過は、一応は債権者間の肩代りなのではあるが、右に見たような広瀬と被告会社ないし高宮父子との密接な関係や、右証言によって認められる本件公正証書作成の際も広瀬が被告会社のため高宮敬一と共に公証人役場まで赴いている事実、後に判示する乙第一号証の債権者としても被告会社名義でなく広瀬名義となっている事実などを考え合せると、高宮が訴外隆の代理権につき広瀬と同じ知識を有していたと推認することまではできぬとしても、少なくとも、同人が代理権ありと信じるにつき正当の理由があったとの認定には到達するに至らない。そして、この点については民法第一一〇条にいわゆる第三者である被告の方に証明責任があるのであるから、ここでは被告に不利益に判断するほかない。したがって、原告には結局同条による責任は生じない。

五  被告は更に、原告による追認があったと主張している。執行受諾の意思表示の追認については、その訴訟行為としての性質に関して前判示と同趣の議論があるのであるが、かりに前同様追認の規定の準用を考えるとしても、証拠上これを認めることはできない。≪証拠省略≫中にはこれに副う趣旨の部分があるが、必ずしも採用しえず、右両証人の証言からその成立を推認しうる乙第一号証の「広瀬」名義の債権額の記載も必ずしも原告の追認を推測させるものとは言えないし、かりにそう言えるとしても、それは当該債権者が二割配当を受諾することを停止条件としたものであるところ、広瀬自身の証言によって認められるように、それは受諾されなかったからである。要するに、追認の主張も失当である。

六  以上考察して来たところを総合し、本件公正証書は、その効力なきこと明白であるので、原告の本訴請求はこれを認容すべきである。よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、強制執行停止決定の認可、その仮執行宣言につき同法第五六〇条、第五四八条第一、二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次)

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